戦国大名今川家の菩提寺・観泉寺を訪ねて
荻窪の三庭園を歩いた後に荻窪駅まで戻り、荻窪駅よりバスにて荻窪病院に向かいます。
荻窪病院の先に戦国大名今川家の菩提寺・観泉寺があります。


今川氏は、室町時代・戦国時代は駿河国などを治めた大名であったが、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に敗れたのち没落しています。
義元の子、今川氏真は駿河国の支配を武田信玄に奪われた後も生き残り、相模国・北条家を頼ったり徳川家に仕えたりしながら1615年徳川家康の庇護を受けて京などで暮らし、慶長19年(1614年)に江戸で没しています。
氏真の嫡孫今川直房は高家として江戸幕府に仕え、朝廷との交渉の功績によって正保2年(1645年)に徳川家光から当地(井草村)を含む新たな知行地を与えられていてい、以後、当地は幕末まで今川家の所領として続くことになる。
今川氏は明治時代に断絶したが、現在の当地の地名「今川」の由来となっています。


境内を歩きます。




都内と思えない竹林の雰囲気です。


観泉寺の山門前、境内地に多数の石仏石塔の並んだ空間があります。
庚申塔やら馬頭観音やら、街の発展に伴い移設を余儀なくされた石仏群が安置されています。






現在の観泉寺境内に残る建造物がいつから残るものかはわかりませんが、付近にある「桃井原っぱ公園」は旧中島飛行機の工場だった場所なので、空襲の被害を受けている気がしますが山門や本堂は歴史を感じるものです。
桃井原っぱ公園はこの後歩きます。
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義元の子、今川氏真は駿河国の支配を武田信玄に奪われた後も生き残り、相模国・北条家を頼ったり徳川家に仕えたりしながら1615年徳川家康の庇護を受けて京などで暮らし、慶長19年(1614年)に江戸で没しています。
氏真の嫡孫今川直房は高家として江戸幕府に仕え、朝廷との交渉の功績によって正保2年(1645年)に徳川家光から当地(井草村)を含む新たな知行地を与えられていてい、以後、当地は幕末まで今川家の所領として続くことになる。
今川氏は明治時代に断絶したが、現在の当地の地名「今川」の由来となっています。
境内を歩きます。
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観泉寺の山門前、境内地に多数の石仏石塔の並んだ空間があります。
庚申塔やら馬頭観音やら、街の発展に伴い移設を余儀なくされた石仏群が安置されています。
現在の観泉寺境内に残る建造物がいつから残るものかはわかりませんが、付近にある「桃井原っぱ公園」は旧中島飛行機の工場だった場所なので、空襲の被害を受けている気がしますが山門や本堂は歴史を感じるものです。
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