晩秋の鎌倉・まんだら堂やぐら群を超え名越切通を訪ねて。そのⅡ
まんだら堂やぐらを後にして名越の切通を通って石廟・大切岸を見てハイランド側に抜けるコースを歩きます。

名越の切通は鎌倉から三浦半島・安房への交通路として利用されていました。
三浦半島には当時の有力御家人である三浦一族の根拠地もありました。


しばらく歩くと鎌倉市の指定有形文化財である石廟、二基があります。



まんだら堂やぐら群の尾根上にある石廟は、鎌倉時代後期から南北朝期のものといわれていて、内部に火葬骨を納めた骨壺が納められていたと考えられています。
鎌倉時代には、一般的に木造の墳墓堂が造られたていましたが、石造の墳墓堂は珍しく、他に見当たらないものとして鎌倉市の文化財に指定されています。


お猿畑の大切岸に着きました。
鎌倉市と逗子市の境をなしている丘陵尾根の斜面に、約800メートルに渡って人工的に造られた断崖地形です。
国の史跡・名越切通の一部にあります。
斜面を切り落として外敵の侵入を防ぐ防御施設だったとする説もありましたが、2002年(平成14年)に行われた発掘調査で、土木・建築用石材の石切場・採石場であることが判明しました。
鎌倉周辺の山で採掘された鎌倉石は比較的に柔らかくて加工がしやすかった為、鎌倉のまちづくりには欠かせず庁舎・神社・仏閣などの礎石にもなっていたものと考えられています。








ハイランド住宅方面へ向かいます。


この展望地まで来るとハイランドバス停はすぐです。

バス停よりは逗子駅へ向かいます。
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鎌倉周辺の山で採掘された鎌倉石は比較的に柔らかくて加工がしやすかった為、鎌倉のまちづくりには欠かせず庁舎・神社・仏閣などの礎石にもなっていたものと考えられています。
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