小机城跡を訪ねて。
8/14 横浜市の小机城跡を訪ねてきました。
横浜線小机駅で降ります。
小机城は「永享の乱」の頃に関東管領上杉氏によって築城されたとされています。
太田道灌によって攻められた記録も残っています。
「長尾景春の乱」において太田道灌が攻略し、長尾景春側についた豊島氏はこの地で滅亡したと伝わっています。
この城が歴史に登場したのは、長尾景春の乱のうち1478年(文明10年)に起きた攻守戦である。
山内上杉家の家宰であった長尾景春が、父の死後に家宰職を相続できなかったことに端を発し、主家に対する反乱を起こした。
このとき景春の味方をした豊嶋氏が小机城に立てこもり、敵方の太田道灌が攻撃をし落城しています。
1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐の際には、無傷のまま落城しています。
現在は小机城址市民の森として、本丸、二の丸跡など城の遺構が整備されています。
あの小高い丘が小机城跡となります。

小机城址市民の森公園となっています。

空堀が残っています。


櫓台跡です。


本丸跡です。



この後、第三京浜国道で分断された富士浅間を訪ねます。
「富士仙元大菩薩」と書かれた石碑は文久元年(1861年)のもの。
小机城址公園の中でもおそらく一番高い場所に設置されています。




小机城を後にして小机駅近くの雲松院を訪ねます。
駅に向かう途中こういう御城印を張っているお店を見ました。

この地域が後北条氏の勢力下に入ると北条氏綱の手により修復され、家臣の笠原信為が城主として配置され、小机衆が組織されています。
笠原氏は、小机城を中心に城下の整備に力を注いだと見られ、江戸時代になってもその子孫は代々この地の付近に住んでいたようです。
笠原氏の供養塔を訪ねます。




この後、菊名駅に戻ります。
菊名よりバスに乗り馬場花木園を訪ねます。
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小机城は「永享の乱」の頃に関東管領上杉氏によって築城されたとされています。
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「長尾景春の乱」において太田道灌が攻略し、長尾景春側についた豊島氏はこの地で滅亡したと伝わっています。
この城が歴史に登場したのは、長尾景春の乱のうち1478年(文明10年)に起きた攻守戦である。
山内上杉家の家宰であった長尾景春が、父の死後に家宰職を相続できなかったことに端を発し、主家に対する反乱を起こした。
このとき景春の味方をした豊嶋氏が小机城に立てこもり、敵方の太田道灌が攻撃をし落城しています。
1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐の際には、無傷のまま落城しています。
現在は小机城址市民の森として、本丸、二の丸跡など城の遺構が整備されています。
あの小高い丘が小机城跡となります。
小机城址市民の森公園となっています。
空堀が残っています。
櫓台跡です。
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この後、第三京浜国道で分断された富士浅間を訪ねます。
「富士仙元大菩薩」と書かれた石碑は文久元年(1861年)のもの。
小机城址公園の中でもおそらく一番高い場所に設置されています。
小机城を後にして小机駅近くの雲松院を訪ねます。
駅に向かう途中こういう御城印を張っているお店を見ました。
この地域が後北条氏の勢力下に入ると北条氏綱の手により修復され、家臣の笠原信為が城主として配置され、小机衆が組織されています。
笠原氏は、小机城を中心に城下の整備に力を注いだと見られ、江戸時代になってもその子孫は代々この地の付近に住んでいたようです。
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この記事へのコメント
その上、落城の際の悲惨さから、地元では有名な心霊スポットになっています
心霊スポット見学かな?
夏場なので見学する方も少ないようで蜘蛛の巣が多かったです。
比較的当時の城跡が残っていました。
竹灯籠祭りの頃もう一度訪ねてみます。ありがとうございます。