清瀬市を訪ねて① 柳瀬川回廊を歩く。
8/8清瀬ひまわりフェスティバルを見学してきました。(別途投稿済み)
ひまわりフェスティバルを見学する前に清瀬市内の歴史を訪ねてきました。
北口駅前より台田団地行バスに乗り終点台田団地で下車します。
小金井街道を通りますが志木街道との交差点で渋滞します。
南北朝時代建立とされている円通寺を訪ねます。

1340年新田義貞の弟、新田義助の開基とされて市内で一番古いお寺です。

長屋門としては規模も大きく1844年江戸後期に建てられたものとされています。



円通寺本堂。

下宿八幡神社へ向かいます。
参道が長いですね。
ここは、円通寺同様、新田家にゆかりがあり、新田義輔が暦応年中(1338年〜1342年)に創建したとも伝えられています。
周囲の静けさと拝殿の飾らなさが手伝い、見どころは鳥居のそばにある清瀬市指定天然記念物「下宿八幡神社のケヤキ」だけのように思えますが、明治初期の記録で3反余り(約900坪)の土地を有していたと残されており、古社として相応の格式を持っていたことをうかがわせます。




下宿八幡神社を後にして柳瀬川沿いを歩き城前橋を渡り滝の城址を目指します。

気づきませんでしたが橋を渡ると埼玉県所沢市になります。




都心では見かけなくなったトンボ。

そしてカマキリ。

本丸跡の城山神社。

猫がいい気持ちで寝ていました。
お参りしていても寝たままです。


滝の城は、埼玉県所沢市の東端で隣接する東京都清瀬市との都県境。
柳瀬川の北岸に位置し、豊かな緑に覆われた断崖の上に 曲輪や空掘り跡などが残っています。
本丸跡に「城山神社」が祀られています。

伝承によると1180年(治承4年)頃に 源頼朝の挙兵に応じて土豪が築城したものと言われていますが、
記録などは残っておらず詳細は不明のようです。
戦国時代には、関東管領上杉氏の家臣で 大石氏の滝山城の支城として対岸の清戸番所との関係もあったとされる。
その後大石定久の代に後北条氏の支配下となり北条氏照の支城になった。
氏照は本拠の滝山から北関東に度々出陣しており、その直線上にあたる滝の城は軍勢集結の拠点になったようです。
1564年(永禄7年)の北条氏による下野への遠征の際にはこの城で陣揃(じんぞろえ)が行われたことが記録されています。
その後1590年(天正18年)、豊臣秀吉の小田原征伐の際に、浅野長政率いる豊臣方に城北側の大手方面から急襲され
八王子城と共に落城しています。


この高台は古代より葬祭の場として利用されていました。


所沢市と清瀬市の境界の城前橋となります。
右が清瀬市・左が所沢市となります。

それでは滝の城址を後にして柳瀬川沿いの自然歩道を歩いて清瀬駅に向かいます。


柳瀬川は狭山湖を源とし、所沢市との市境を流れています。
昭和30年代前半までは、柳瀬川流域の清瀬市をはじめとする近隣市町に田んぼや畑が広がり、流れる水は農業・生活用水として使われるなど、地域の人々の営みと深いかかわりをもってきました。
昭和30年代後半から経済の高度成長のなかで、宅地化が進み、家庭から出る生活排水を柳瀬川に流すようになり川は汚染されていったようです。どこの河川も同じようでした。
柳瀬川に清流を取り戻すため、公共下水道の整備が進められ、遊歩道が設けられたり、金山調節池が整備されたり、柳瀬川流域は環境整備が進められていて野草、昆虫、野鳥など多様な自然が保護されています。



小金井街道に出たあたりで清瀬行きのバスに乗ります。
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南北朝時代建立とされている円通寺を訪ねます。
1340年新田義貞の弟、新田義助の開基とされて市内で一番古いお寺です。
長屋門としては規模も大きく1844年江戸後期に建てられたものとされています。
円通寺本堂。
下宿八幡神社へ向かいます。
参道が長いですね。
ここは、円通寺同様、新田家にゆかりがあり、新田義輔が暦応年中(1338年〜1342年)に創建したとも伝えられています。
周囲の静けさと拝殿の飾らなさが手伝い、見どころは鳥居のそばにある清瀬市指定天然記念物「下宿八幡神社のケヤキ」だけのように思えますが、明治初期の記録で3反余り(約900坪)の土地を有していたと残されており、古社として相応の格式を持っていたことをうかがわせます。
下宿八幡神社を後にして柳瀬川沿いを歩き城前橋を渡り滝の城址を目指します。
気づきませんでしたが橋を渡ると埼玉県所沢市になります。
都心では見かけなくなったトンボ。
そしてカマキリ。
本丸跡の城山神社。
猫がいい気持ちで寝ていました。
お参りしていても寝たままです。
滝の城は、埼玉県所沢市の東端で隣接する東京都清瀬市との都県境。
柳瀬川の北岸に位置し、豊かな緑に覆われた断崖の上に 曲輪や空掘り跡などが残っています。
本丸跡に「城山神社」が祀られています。
伝承によると1180年(治承4年)頃に 源頼朝の挙兵に応じて土豪が築城したものと言われていますが、
記録などは残っておらず詳細は不明のようです。
戦国時代には、関東管領上杉氏の家臣で 大石氏の滝山城の支城として対岸の清戸番所との関係もあったとされる。
その後大石定久の代に後北条氏の支配下となり北条氏照の支城になった。
氏照は本拠の滝山から北関東に度々出陣しており、その直線上にあたる滝の城は軍勢集結の拠点になったようです。
1564年(永禄7年)の北条氏による下野への遠征の際にはこの城で陣揃(じんぞろえ)が行われたことが記録されています。
その後1590年(天正18年)、豊臣秀吉の小田原征伐の際に、浅野長政率いる豊臣方に城北側の大手方面から急襲され
八王子城と共に落城しています。
この高台は古代より葬祭の場として利用されていました。
所沢市と清瀬市の境界の城前橋となります。
右が清瀬市・左が所沢市となります。
それでは滝の城址を後にして柳瀬川沿いの自然歩道を歩いて清瀬駅に向かいます。
柳瀬川は狭山湖を源とし、所沢市との市境を流れています。
昭和30年代前半までは、柳瀬川流域の清瀬市をはじめとする近隣市町に田んぼや畑が広がり、流れる水は農業・生活用水として使われるなど、地域の人々の営みと深いかかわりをもってきました。
昭和30年代後半から経済の高度成長のなかで、宅地化が進み、家庭から出る生活排水を柳瀬川に流すようになり川は汚染されていったようです。どこの河川も同じようでした。
柳瀬川に清流を取り戻すため、公共下水道の整備が進められ、遊歩道が設けられたり、金山調節池が整備されたり、柳瀬川流域は環境整備が進められていて野草、昆虫、野鳥など多様な自然が保護されています。
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